[ミュシャの油絵]チェコの歴史と「スラブ叙事詩」2枚

今回の記事は
パリで活躍したチェコ人、
アルフォンス・ミュシャが描いた
油絵「スラブ叙事詩」の一端がわかります。

ミュシャはポスターだけではなく、
油絵も描いています。

特に晩年描いた「スラブ叙事詩」は
巨大な美しい絵画で、ただ見るだけでも楽しめますが、

スラブ人の歴史、
チェコの歴史を知るとさらに楽しめます。

世界史が苦手な人こそ必読。
読むと新しいヨーロッパが見えてきます。

ミュシャの油絵もあったんだ!

ミュシャはアールヌーボーの
美しいグラフィックポスターで有名ですが、

油絵で絵画も描く画家でもありました。

スラブ人は中欧、東欧の国々
(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、
スロバキア、チェコ、ポーランド、
クロアチア、セルビア、ブルガリア)
に多い民族です。

このスラブ人の歴史を描いたミュシャの大作が
「スラブ叙事詩」

6m×8mの巨大な絵画が
全部で20作描かれています。

チェコとスラブ人の歴史がわかれば
ミュシャのスラブ叙事詩を堪能できます。

今回は次の2作を楽しむための
かなり濃縮した情報を詰め込みました。

No.8
「ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス/真実は勝利する」1916年

No.12
「ヴォドニャヌイ近郊のペドル・ヘルチツキー」1918年

スラブ人の歴史は支配支配また支配

6世紀
>スラヴ人が定住

7世紀
>フランク人、アバール人が支配

9世紀前半
>スラヴ人が大モラヴィア王国を建設

907年
>マジャル人により大モラヴィア王国が崩壊
東部スロバキアはハンガリーが支配

11世紀
>ドイツ人の植民、ドイツ化

12世紀
>ボヘミア公国から王国になる

14世紀
>ドイツ人のルクセンブルク家が支配

15世紀
>ヤン・フス教会改革、ドイツ人を追放、
>ハンガリー王国、ポーランド王国の支配

16世紀前半
>ハプスブルク家の支配

もうこれを見ただけでも、お腹いっぱい。
様々な人種に支配され、
なかなかスラブ人で国を保てないのです。

とりわけ何千年も大和民族の
日本人にはわかり難いですね。

スラブ叙事詩の源泉「汎スラブ主義」

1848年6月
オーストリア帝国領土内のスラブ人が集まり、
「スラブ人会議」が行われ、

「汎スラブ主義(Pan-Slavism)」
(スラヴ民族の連帯と統一を目指す思想運動)
の思想が唱えられました。

この「汎スラブ主義」が
ミュシャが「スラブ叙事詩」を描こうとした原動力となっています。

20世紀のチェコはチェコスロバキアでした。

1918年
オーストリア-ハンガリー帝国崩壊
ボヘミア王国から
チェコスロバキア共和国となりました。

この頃、ミュシャはパリから
チェコスロバキアへ戻り、
切手や紙幣などのデザインをしています。


1939年3月
ナチスドイツにより
チェコスロバキア共和国解体。

この時、ドイツ軍に、
「愛国心をくすぐる絵を描いた罪」で逮捕されます。

ドイツ軍からの厳しい尋問を受け、
数日後釈放されたものの

1939年7月14日
逮捕から4ヶ月後に亡くなります。

祖国を失った絶望…も
あったかもしれません。

宗教改革者ヤン・フスから見る「スラブ叙事詩」NO.8

ヤン・フスは、カトリックに意義を唱え、
プロテスタントの先駆けとなりましたが、

1411年、火あぶりの刑となった神学者。

ルターが宗教改革を始める100年前に
同じことをしていたのがヤン・フスです。
ルターにも影響を与えました。

その後、十字軍と民衆による
フス戦争が起こりました。

フスが残した言葉、
「真実は勝つ Pravda Vítězí」
がチェコの国家の標語、象徴となり、
大統領旗になるほど需要な言葉です。
また、フスの墓にも刻まれています。

この言葉が副題となった、
ミュシャのの一枚があります。

「スラブ叙事詩」No.8
「ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス/真実は勝利する」1916年

歴史的にフスを描く時の絵は
異端審問のシーンか
火刑のシーンが描かれることが多い中、

ミュシャはベトレーム礼拝堂で
説教を行うフスのシーンを描いています。

左側で身を乗り出しているのがフスになります。

↓ミュシャ財団のリンク
Master Jan Hus Preaching at the Bethlehem Chapel Truth Prevails

ミュシャ本人が、この絵のために
フスの演説するポーズをとっている写真があります。
↓ミュシャ財団のリンクにある写真。
Mucha posing as Jan Hus

「スラブ叙事詩」の完成した物は610x810cm
こちらはサイズ33x46cmの習作です。
↓ミュシャ財団のリンク
Study for ‘The Slav Epic’ cycle No.8 c.1915-1916

ミュシャが尊敬していた歴史画家
ヴァーツラフ・ブロジークが描いたヤン・フス
は異端審問の様子です。

「1415年7月6日の公会議前のフス」

音楽から始まったスラブ叙事詩

ミュシャがスラブ叙事詩を構想する
きっかけとなったのが、

有名な「モルダウ」の入った
ベドルジハ・スメタナ作曲
「我が祖国」

スタメナもこの曲を
オーストリア帝国支配からの独立を願う気持ちで作っていました。

6曲あるテーマの中、
5、6がフス戦争と関わっています。

No.1 ヴィシェフラド
「高い城」(The High Castle)
ボヘミア王国の国王の城のことです。

No.2 ヴルタヴァ
「モルダウ」(The Moldau)
プラハに流れる「モルダウ川」のこと。

No.3 シャールカ
プラハ北東になる谷の名前

No.4 ボヘミアの森と草原から
チェコはチェコスロバキア共和国になるまで、
ボヘミアと呼ばれていました。
国の自然を曲に表しています。

No.5 ターボル
No.6 ブラニーク
ターボルはフス戦争において、
フス派が拠点としていた町の名前です。

プラニークは山の名前ですが、
亡くなったフス派の戦士が眠る場所。

この曲の中にはフス派の賛美歌が入っているそうです。

虐殺されたフス派「スラブ叙事詩」No.12

スメタナの「我が祖国」を聞きながら見たい
「スラブ叙事詩」No.12

「ヴォドニャヌイ近郊のペドル・ヘルチツキー」1918年
(Petr Chelčický at Vodnany)

フス派の軍隊が離れた隙に、
半フス派がフス派の住人を殺害。

村が襲撃され、
村人が遺体と共に批難し、
悲しみに暮れています。

絵の中央、右腕に聖書を持っている
平和主義思想家の
司祭ヘルチツキーが村人を慰めます。

復讐をしたいと思う村人に
「悪に悪で返さない」
と、説いているシーンです。

↓ミュシャ財団のリンク
‘The Slav Epic’ cycle No.12: Petr of Chelčice (1918)

ミュシャの油絵のまとめ

今回はチェコとスラブ人の歴史をまとめ、

実はポスターだけではない
油絵も描いていた、
アルフォンス・ミュシャの

「スラブ叙事詩」を味わうための、
ポイントを絞りました。

スラブ叙事詩全20枚ある中の、
2枚(No8とNo12)だけの紹介でした。

それだけの大作なので、
また一枚一枚歴史や文化と照らし合わせて
見ていきたいと思います。

2017年に、
この巨大な絵画20枚が日本の国立新美術館に来ましたが、
2019年から3年間、プラハ市が保管し、
展示される予定はないそうです。

ミュシャと言えば↓が見たかった方用。

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