ゴヤの「黒い絵」ビフォーアフター

今回の記事では、
ゴヤがなぜ「黒い絵」を描いたのか、
ゴヤの生涯と様々な絵を通して分かる様になっています。

ゴヤは暗いし怖い絵で嫌いという方がいたら、
逆に読んで欲しいです。

ゴヤとスペインと音の無い世界

宮廷画家として
肖像画などを描いていたゴヤですが、
後世に大きな影響を与えた
と言われている絵画は晩年、宮廷から離れてからでした。

そこでの集大成が「黒い絵」

この「黒い絵」はゴヤが
自分のためだけに描いた物で、
後世になって評価をされています。

結果、「ゴヤ」は
早すぎたシュルレアリズムの画家でした。

ビフォー「黒い絵」

1746年、ゴヤは芸術に理解のある
中流家庭に生まれました。

↓ゴヤの生家

14歳から住んでいた地域の画家に師事し、
1770年イタリアの各地を巡り、
多くのスケッチやノートが現在もプラド美術館に保管されています。

その時のノートから描かれた絵が
「サンタ・バーバラ」3世紀の王女の絵です。
プラド美術館で一番古い絵となります。
Santa Bárbara

1777年の絵(31歳)

El quitasol 1777

この時代のどの絵を見ても、
人々の顔は朗らかで優しく、
色使いも明るく可愛らしい絵が多いです。

この絵を描く人が
あの「黒い絵」を描くことになるとは
思えないですね。

宮廷画家

40歳、カルロス3世の宮廷画家となります。

↓ゴヤが描いたカルロス4世の肖像画

Carlos IV 1789
宮廷画家になり大変な思いがあって
絵が黒くなるのか!?

とは思えない、
宮廷の肖像画も優しさのある表情が多いです。

聞こえなくなってからの名作「マハ」

1793年、病名は不明ですが、
深刻な病により聴力を失います。

ここから明らかに
ゴヤの絵の色が暗くなっていきます。

しかし、苦肉にも
芸術的には深みが出てくるのです。

そこで生まれた名作が、
「裸のマハ」

この「マハ」が誰かは分かりませんが、
西洋美術の初めての女性の(ヘア)ヌードだそうです。

とは言え、これは人目に触れることはなく、
王室の権力者マニュエル・ゴドイが持ち続けました。

後に、失脚したゴドイの邸宅から見つかり、
わいせつ物として没収後、
20年後にサンフェルナンド美術アカデミーに戻されました。

「着衣のマハ」は
ヌードを描くなどもってのほかの時代に、
「裸のマハ」を隠すために描かれたのです。

ゴドイの邸宅では壁に2枚重ねて飾られ、
「着衣のマハ」は移動できたそうです。

現在はプラド美術館で
横に並べて展示されています。

フランス革命とスペインの独立まで

1789-99年フランス革命が起こります。

1899年ゴヤは宮廷画家の最高位「カマーラ」となります。

1807年ナポレオンがスペインへ侵攻、
スペインがフランスの支配下に置かれます。

同時にフランスからの独立戦争が起こり、
スペインは混乱期を迎えます。

↓1814年に描かれた
「1808年5月2日のマムルークの突撃」

La lucha con los mamelucos 1814
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サイト内関連リンク
絵画でわかる!フランス革命
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フランス革命で多くの市民の血が流れた様に、
このスペイン独立戦争でも市民が立ち上がり、
また虐殺もあったことを、

このゴヤの1814年に描かれた
「1808年5月3日マドリード」
(原題は「銃殺」)が伝えています。

Los fusilamientos 1814

この頃描かれたゴヤの作品と言われていた
「巨人」は、助手の作品でした。

黒い絵徹底解説

1819〜23年に描かれた
14枚の壁画であった

「黒い絵」
スペイン語で「Pinturas negras」

1819年ゴヤは「聾者の家」と呼ばれる家を購入しました。

↑マドリード歴史博物館にあるゴヤの家の模型。

壁画は誰に見せるわけでもなく描かれており、
タイトルも無かったのですが、

1828年、ゴヤの友人で画家の
アントニオ・デ・ブルガダによりそれぞれ付けられました。

壁画としてどの配置描かれていたか分かっています。

サン・イシドロへの巡礼

1F入り口を背にして中央に立ち、左側
西:La romería de San Isidro
英:A Pilgrimage to San Isidro

↓プラド美術館のリンク
El Santo Oficio
美術館とゴヤの友人が付けたタイトルは同じ。
「聖なる場所」で
「サン・イシドロ」の名前は入っていない。

魔女の夜宴

1F入り口を背にして中央に立ち、右側
西:El Gran Cabrón/Aquelarre
英:Witches’ Sabbath,

↓プラド美術館のリンク
El aquelarre o El gran cabrón
ゴヤの友人が付けたタイトルは
「El gran cabrón」でした。

ユーディットとホロフェルネス

1F入り口を背にして中央に立ち、正面窓の右
西:Judith y Holofernes
英:Judith and Holofernes


↓プラド美術館のリンク
Judit y Holofernes

我が子を食らうサトゥルヌス

1F入り口を背にして中央に立ち、正面窓の左
西:Saturno devorando a su hijo
英:Saturn Devouring His Son,

黒い絵を代表するかもしれないこの絵、
本人が説明をしていないので、
解釈は山の様にあるのですが、

ゴヤは自分の子供を
流産で何人か亡くしており、
大人になれたのは一人だったそうです。

ただの残虐な絵ではなく、
その苦しみのからの解放…
とも見れるかもしれません。

↓プラド美術館のリンク
Saturno
美術館とゴヤの友達が付けたタイトルは同じ。

レウカディア

1F入り口の左側
西:Una manola/La Leocadia
英:Leocadia
レウカディアはゴヤの家政婦で、
不倫状態で恋人となり
死ぬまで一緒にいた女性です。

↓プラド美術館のリンク
Una manola: Leocadia Zorrilla
ゴヤの友人は「La Leocadia」としていました。

二人の老人

1F入り口の右側
西:Dos viejos/Un viejo y un fraile
英:Two Old Men

↓プラド美術館のリンク
Dos viejos
ゴアの友人と美術館のタイトルは同じ。

アスモデウス

2F右
西:Vision fantástica/Asmodea
英:Fantastic Vision,

↓プラド美術館のリンク
Asmodea
アスモデアは悪魔の王子の意味。
ゴアの友人と美術館のタイトルは同じ。

異端審問所の行進

2F右
西:Procesión del Santo Oficio
英:Procession of the Holy Office

↓プラド美術館のリンク
El Santo Oficio
美術館とゴヤの友人は同じタイトル。

運命

2F左
西:Átropos/Las Parcas
英:Atropos (The Fates),

↓プラド美術館のリンク
Las Parcas (Átropos)
美術館のタイトルは「運命」も入れていますが、
ゴヤの友人が名付けたのは
「アトロポス」(Átropos)
ギリシャ神話の運命の女神。

決闘

2F左
西:Duelo a garrotazos
英:Fight with Cudgels,

↓プラド美術館のリンク
Duelo a garrotazos
美術館のタイトルは「ガロタゾスへの決闘」
ですが、ゴヤの友人が名付けたのは
「2人の部外者」(Dos forasteros)でした。

二人の女と一人の男

2F正面右
西:Mujeres riendo
英:Women Laughing
「笑う女性」とタイトルがついていますが、
自慰行為をしている男性を2人の女性が見て笑っている絵らしいです。

↓プラド美術館のリンク
Dos mujeres y un hombre
美術館のタイトルは「2人の女性と一人の男」
ですが、ゴヤの友人が名付けたのは
「2人の女性」(Dos mujeres)でした。

書類を読む男たち

2F左
西:Hombres leyendo
英:Men Reading


↓プラド美術館のリンク
La lectura
美術館のタイトルは「読書」
ですが、ゴヤの友人が名付けたのは
「2人の男」(Dos hombres)でした。

2Fドアの横右
西:El perro
英:The Dog

↓プラド美術館のリンク
Perro semihundido

美術館のタイトルは「半分沈んでいる犬」
ですが、ゴヤの友人が名付けたのは
「犬」(Un perro)でした。

スープを飲む老人

2Fドアの横左(1Fの説もある)
西:Dos viejos comiendo sopa
英:Two Old Men Eating Soup

Dos viejos comiendo

美術館のタイトルは「食べている2人の老人」
ですが、ゴヤの友人が名付けたのは
「2人の女性」(Dos mujeres)でした。

アフター「黒い絵」

「黒い絵」は元々壁画、壁に直接、
石膏の上に油絵で描かれていました。

1874年、
画家で修復師の
サルバドール・マルティネス・キューベル
によって壁画からキャンバスに、
移し替える作業が始まりました。

これはドイツ人でフランスの銀行家、
エミール・デルランジェ男爵が
1878年のパリ万博で
ゴヤの絵を販売しようと考えていたのです。

↓パリ万博にゴヤの絵が展示されている様子。

しかし、パリ万博では思う様に売れず、
結局プラド美術館へ寄付しました。

日本に「黒い絵」がある!?

スペインのプラド美術館まで行かなくても、
ゴヤの黒い絵が展示され、
ゴヤの家を再現している美術館があります。

世界中の名画を陶器に焼き付けて展示している

大塚国際美術館

ここの美術館に「ゴヤの家」が再現されています。

ゴヤの黒い絵まとめ

今回の記事では、
ゴヤの生涯から、「黒い絵」を描くに至る歴史を見てきました。

「黒い絵」の解説はゴヤ自身は全くしていないので、
多くの解釈が存在します。

この流れを見て自身で解釈を加えてみるのも、
「黒い絵」の楽しみ方ですよね。
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サイト内リンク
画家3人の「アルジェの女たち」
謎のお仕事。絵画を修復する人々
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