モンドリアンとサンローラン[アートが服になる]

今回の記事では

モンドリアンはなぜあの、
ただ四角を区切った絵に行き着いたのか?

イブ・サン・ローランは、
なぜモンドリアンの絵を服にしたのか?

なぜアートが服になったのかが分かります。

アートが服に、モンドリアンの絵とサンローランの服

オランダ人のピエト・モンドリアン、
フランス人のイブ・サン・ローラン
生きた時代の違う2人ですが、

モンドリアンと聞くと
イブ・サン・ローランを思い出す程
世界に大きな影響を与えました。

モンドリアンがあの絵になる

オランダの画家、
ピエト・モンドリアン
(Piet Mondrian)

1911年にピカソとブラックの始めた
「キュビズム」に影響されパリへ行きます。

1911年より前はこの様な絵。
オランダらしい風車のモチーフが多いです。

↑MOMA所蔵
Truncated View of the Broekzijder Mill on the Gein, Wings Facing Westc. 1902-03 or earlier

印象派の影響を受けていた絵も残されています。

↑デン・ハーグ市美術館
Dune I 1909

パリへ行き1911年以降は
キュビズムの影響が強くなります。

↑グッゲンハイム美術館所蔵
Still life Gingerpot II 1912

モンドリアンの絵を思う存分楽しみたいなら、
世界最大のモンドリアンコレクション
オランダ、ハーグにある
「デン・ハーグ市美術館」です。
subcollection:Mondriaan

オランダで始めた「デ・ステイル」

モンドリアンが一時的にオランダに帰った所、
第一次世界大戦の影響で
パリへ戻れなくなりました。

しかし、
1917年そこで出会った画家仲間と、
芸術雑誌であり芸術グループ

「デ・ステイル(The style)」を作り、

「新造形主義(Neoplasticism)」を唱えました。

新造形主義は
抽象画、非具象画の特質を理論化した物でした。

↑デン・ハーグ市美術館
Compositie met grijze lijnen 1918

1920年代

1920−21年にモンドリアンの
あの線の絵が始まります。

それまでも線での分割はしていましたが、
線はグレーであったり、
白の分量が少なかったのですが、

黒い線で分割がはっきりとされ、
分割された数が少なくなり、
白はキャンバスそのまま残されました。


↑デン・ハーグ市美術館
Tableau I 1921

ニューヨークでジャズを描いた

第2次世界大戦の戦渦を逃れるため、
1938年ロンドンに移住。
ここでは画風は変わらず。
この時期に描いた絵はロンドンのテート・モダンが所蔵しています。

Composition with Yellow, Blue and Red1937–42

1940年にニューヨークに移住。
1942年初の個展を行い、
その時に展示していた
「ブロードウェイ・ブギウギ」を
ブラジルの彫刻家が$800で購入。

その後MOMA(ニューヨーク近代美術館)に寄贈されています。

ニューヨークの喧騒と
音楽の「ブギウギ」に刺激を受け、
黒い線が外され、
細かいカラフルな線になっています。

Broadway Boogie Woogie 1942-43

ニューヨークでのモンドリアンの活躍は
これからかと思いきや、
1944年に肺炎で亡くなりました。

未完の作品が
「勝利のブギウギ」

↑デン・ハーグ市美術館所蔵
Victory Boogie Woogie 1944

モンドリアンがサン・ローランの服になる

イブ・サン・ローラン
(Yves Saint-Laurent)

フランスで早くから
ファッションデザインの才能を開花させ、

クリスチャン・ディオールと同じデザインを既にしていたことで

ディオールに大変気に入られ、
スタッフとして働き始めるとすぐ、

ディオールが急死します。

まだ21歳であったサン・ローランですが、
クリスチャン・ディオールの
主任デザイナーとなったのです。

サン・ローランは徴兵された

ディオールのデザイナーであった
サン・ローランでしたが、

1960年
アルジェリア独立戦争に徴兵されます。

アルジェリア独立戦争は、
ピカソが「アルジェの女たち」本格的に描くきっかけとなった戦争です。
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サイト内関連リンク
画家3人の「アルジェの女たち」
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この兵役時に過酷ないじめに合い、
神経衰弱に陥り精神病院へ入院。

その後も薬物依存などで苦しみます。

新しいものを次々生み出した天才

兵役により
ディオールのデザイナーを辞めることになり、
独立。
イブ・サン・ローランを立ち上げます。

ディオールの頃にも、
「トラペーズライン」を発表し、
当時のファッション界に衝撃を与えていましたが、

独立してからも
サファリジャケットを取り入れたり、
女性らしいパンツスタイルを提案したり、
常に新しく美しい服を提案し続けていました。

今でこそ珍しくない
多くのファッションスタイルを作り上げてきたのが、
イブ・サン・ローランなのです。

1967年、
オートクチュールから
プレタポルテ(既製服)を始めた
最初のクチュリエでもあります。

1983年、
サン・ローランは、
メトロポリタン美術館で個展を開催。

美術館で個展をした生きている
初めてのデザイナーでもありました。

アートコレクターでもあったサン・ローラン

サン・ローランは
パートナーのベルジェと共に、
1950年代からアートの収集を始めました。

2002年引退、
2008年にサン・ローランは亡くなり、
2009年、

彼等の膨大なコレクションが
オークションに出品されました。

その中には
ピカソ、ロートレック、マティス
もちろんモンドリアンの作品、
ブランクーシの彫刻などなど
絵画や彫刻のみならず、
古美術やデザイン家具など多彩でした。

その中にはアヘン戦争時に盗まれた
中国の国宝が含まれ、
オークションで落札されましたが、
落札者が中国政府に返却しました。

その総点数733点、
落札総額約429億円。

とても個人規模とは思えない
品数と額のコレクションでした。

ここでの利益は、
AIDSの研究のために寄付されたそうです。

アートと服の出会い「モンドリアンコレクション」

アートコレクターであった
イブ・サン・ローランが
モンドリアンの絵と出会い、刺激を受け、

1965年の
イブ・サン・ローランコレクションで
モンドリアンコレクション
(The Mondrian collection)
を発表しました。

日本では「モンドリアンルック」と言います。

1965年、
モンドリアンが亡くなった21年後、

絵画の発表時よりも衝撃的に、
モンドリアンの名前が世界に知られることになりました。

↓メトロポリタン美術館に所蔵されているモンドリアンスタイルのドレス
Dress,fall/winter 1965–66

↓パリのイブ・サン・ローラン博物館
The Musée Yves Saint Laurent Paris

↓イブ・サン・ローラン博物館のインスタ


↓イブ・サン・ローランの伝記が映画になっています。

モンドリアンとサン・ローランまとめ

モンドリアンは
芸術雑誌を発行し、
つねに新しい表現の追求をしていた、
研究熱心な画家でした。

時代を超えアートを愛した
デザイナーであり、
アートコレクターでもあった

イブ・サン・ローランが、

モンドリアンの新しい表現への情熱も受け継いだのではないでしょうか。
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