3人が重要!「現代アート」過激日本人女性たち。

「現代アート」の日本人女性の代表は、

オノ・ヨーコ、
草間彌生、
田中敦子

この3人と言い切っても良いかもしれません。

1960年代のこの3人の活動を知ると、
一つの「現代アート」の形が見えてきます。

現代アートと深い関わりのあるニューヨークに住む私が、
アートの横好き目線でわかりやすく解説して行きます。

前衛「現代アート」の日本人女性3人

この3人をまとめて表現する言葉が、
「アヴァンギャルド(Avant-garde)」
もしくは、「前衛芸術」

どちらも反権威的で過激な表現のこと。

保守的な芸術に反するアートとして、
この言葉を使っていましたが、
時代が流れ敵対する権威も消滅していき、

「アヴァンギャルド」や「前衛芸術」は
立派なアート表現の一つとなり、
この言葉達は消えて行ったのです。

この「アヴァンギャルド」や「前衛芸術」が
反権威的であった1960年代。

これから紹介する3人が
大胆な表現で活動していた時代です。

オノ・ヨーコはジョンに会う前がすごい!

日本とアメリカで数年おきに生活していましたが、
1959年ニューヨークを活動拠点とします。

1960年「踏まれるための絵画」
(Painting to be stepped on)
を発表しています。

床にキャンパスを敷き観客に踏ませます。
それを完成品とする絵画でした。

1964年
「グレープフルーツ」(Greapfruit)
東京で出版された詩集で、
当時はほとんど売れなかったそうですが、

この中に「想像しなさい」と言う言葉があり、
ジョン・レノンはこの本の詩に影響された価値ある詩集です。

現在は「グレープフルーツジュース」として再販されています。

1965年
「カットピース」(cut piece)


服を着て座っているヨーコに、
ハサミを持った観客が一人一人服を切り、
裸になるまで切る続けるパフォーマンスです。

MOMA(NY近代美術館)の音声アーカイブ(英語)で本人の解説が聞けます。
https://www.moma.org/audio/playlist/15/373
他人にハサミを向けられるなんて、
怖いのではないかと思ったのですが、
本人はトランス状態になるので怖くなかったと言ってます。

体が曲線であることと、
切る線は直線であることを感じ取る。
これは、はっとする所がありました。

そして、彼女独自の感性、
観客がハサミで自分の服を切る音は
詩の様に聞こえたそうです。

1966年ロンドンへ移住。
この時の個展「未完成の絵画とオブジェ」
ここでジョン・レノンと出会いました。

ジョン・レノンと出会ってからも、
前衛的なパフォーマンスは続けていますが、
その前から彼女は前衛的アーティストだったのです。

草間彌生は一貫して水玉

1957年渡米。
シアトルで個展の後、
ニューヨークで活動を始めます。

1959年NY初個展。「無限の網」を発表。

「No.B White」は
サイズが、226.5cm×298cmと巨大。

動画は「No.F」ですが、
どのように描かれてるかよくわかります。

網と言っていますが、
白い画面にグレーの水玉が描かれることで、
網の様に見えています。

水玉は決して均一ではなく
うっすらとゆがみが出ているのです。

この作品を作成中に倒れ救急車で運ばれる程、
この作品の制作に没頭していました。

草間の一貫した水玉は、
彼女の精神疾患から見える
幻覚を表現した物でした。

彼女のすごさは、
これを絵の枠で収めなかったことです。

1963年には、
男性性器の形をした布に綿を詰め、
それを一つ一つ大量に自身で作り、
オブジェとした個展をしています。

作品をただ見せるだけではなく、
部屋全体のイメージを作品とリンクさせる、
「インスタレーション」

主流ではない時代に、
いち早く行っていました。

1967年からは様々な場所で、
ゲリラ的に
男女が水玉のボディーペイントをする
過激なパフォーマンスを行うっていました。

これを「ハプニング」と呼んでおり、
帰国時には草間は「ハプニングの女王」と言われていました。
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そのメッセージは時に既存アートに対して、
時に反戦などのメッセージを込め行われていました。

MOMA(NY近代美術館)のサイトで
「Yayoi Kusama」で検索すると
水玉の作品のみならず、
多数の当時のハプニングの写真が見られます。
下の方にスクロールして見て下さい。
MOMA Yayoi Kusama
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インスタレーションにパフォーマンス、
これだけでも同時代のアーティスト達へ
大きな刺激を与えていたのですが、

(その同時代のアーティストというのが、
アンディー・ウォーホルや
ジャスパー・ジョーンズと言った巨匠達)

この表現のパワーはビジネスへも広がり、
ボディーペインティングは有料化し、
収益を得ていました。

1969年には会社を作り、
服、バック、靴等ファッションのみならず、
車の販売もしていたそうです。

当時はデパートのブルーミングデールに
Yayoi Kusamaコーナーがあった程、
ニューヨークではメジャーな存在だったのです。

しかし、1973年に病気のため帰国。
帰国後は小説やコラージュ作品など新しい試みをしていますが、しばらくメディアから離れていました。

それが1993年から再評価が始まり、
現在に至ります。

今は第2次草間ブームなのです。

田中敦子は前衛的だがノスタルジック

主に関西で活動しながらも、
ニューヨークで派手に活躍をした2人に劣らない、
60年代のアバンギャルド(前衛/反既存芸術)の女性アーティスト。

2004年 NYUにある Grey Art Galleryで回顧展を行っており初めて知りました。
https://greyartgallery.nyu.edu/exhibition/atsuko-tanaka-091404-121104/

1955年、兵庫県芦屋で結成された
「具体美術協会」主要メンバーとなります。

その後、2メートルごとに置いた20個のベルが鳴り響く、「ベル」を発表。

1956年に「電気服」を発表しています。
田中敦子はこの「電気服」を着てパフォーマンスを行っていました。

大量の電気を身にまとうのは、
重さ、熱、危険を伴う行為ですが、

本来身にまとうべき物ではない物を
身にまとう不安定感が彼女の表現したい所の様な気がします。

そして、この原色のカラフルな電気は、
出身地の大阪、鶴橋の薬局のネオンから発想しているそうです。

この電気服発表後、その電気を平面にした様な絵画を描いていました。

この絵画も現在では数千万で取引がされています。
それは、彼女のパフォーマンスが
アート史に爪痕を残したことが認められているからでしょう。

私は派手な田中の作品の中に、
ノスタルジックな味わいを感じるのですが、

それは、
奈良県明日香にギャラリーを持ち、
大阪鶴橋を思いながら作製していたことが、影響している様に思えます。

前衛日本人女性3人のまとめ

前衛とアバンギャルドは同義で使われ、
反既存芸術であったり、反体制であるアートのことでした。

1960年代、
アバンギャルドなパフォーマンスで
時代に爪痕を残し、
現在でも評価され続けている
日本人女性アーティスト3人を紹介しました。

自分の服を観客に切らせるパフォーマンスをしたオノ・ヨーコ

裸の男女に水玉を塗る路上パフォーマンスをした草間彌生

電飾を服にして自らが着用しパフォーマンスをした田中敦子

それぞれの背景から来るオリジナリティーは、
女性とか、アバンギャルドという言葉だけで括るのははばかられます。

彼女達のパフォーマンスがあっての作品は、
今後さらに評価されて行くのではないでしょうか。

「現代アート」は絵画だけではありません。
次の機会には、絵画ではない「現代アート」を見て行きましょう。

ニューヨークから気まぐれにアート情報を送っています。

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