白い絵を描くモーリス・ユトリロの[闇]3つ

今回の記事では
フランスの画家
モーリス・ユトリロの人生の一端が分かります。

風景画が好きな人
印象派の画家が好きな人も必読。
彼の闇から美しい風景画が生まれたことがわかります。

アートと歴史と人が好きなマミーが
モーリス・ユトリロに敬意を込めて書いてます。

モーリス・ユトリロには深い闇が…

フランス、パリ、モンマルトル生まれ、
モンマルトルの風景画を多く残した、
エコール・ド・パリに括られる画家

モーリス・ユトリロ
(Maurice Utrillo)

風景画を主に描き、
「白の時代」と呼ばれる
1910〜14年の風景画が大変評価され、

フランスから勲章をもらっているほど、
画家としての成功を収めています。

しかし、
その美しい風景がと成功の背景には
3つの闇がありました。

画家の母と父不在の闇

ユトリロの母は画家でした。

もしかしたら父も…

母親はユトリロが子供時代画家として成功した

シュザンヌ・ヴァラドン
(Suzanne Valadon)

ヴァラドンが画家になったきっかけは、
様々な印象派の画家たちのモデルとして交友があったことでした。

そして数人の画家たちの愛人や恋人でもありました。

アメリカのアートコレクター、
Ruth Bakwinの未発表の回顧録にこうあった…
と、ディエゴ・リベラが言っていたことが、
ーーー
モーリスが生まれ、
ヴァラドンはルノワールを訪ねました。

ルノワールは赤ちゃんのモーリスを見て
「私の子ではない、色がひどい!」
と、言われました。

次に、ヴァラドンはドガを訪ね言われました。
「私の子ではない、形がひどい!」

カフェで知り合いのアーティスト、
ミゲル・ユトリロに二人に否定されたことを告げました。

ミゲル・ユトリロは
子供を「ユトリロ」と呼んで良いと言いました。

そして、ミゲルは言いました。
「ルノワールかドガの作品に私の名前がついた!」

と。
ーーー
ディエゴ・リベラが
正しいことを言っていたのか、
又聞きになるのでこの真偽はわかりません。

しかし、
父親が誰であるかわからないことが、
モーリス・ユトリロに影を落としているのは自明のことです。

↓ルノワールの描いたヴァラドン

Country Dance 1883
↑オルセー美術館所蔵

父ではないがロートレックも…

ユトリロの母ヴァラドンは
ロートレックと同棲していました。

1885−88年、
ユトリロが2歳から5才の期間です。

ロートレックとの別れを告げられ、
ヴァラドンは自殺を試みるほどでした。

Portrait de Suzanne Valadon 1885
↑アルゼンチン、
Museo Nacional de Bellas Artes所蔵

ロートレックと同時代のスタンランも
ヴァラドンの絵を残しています。
やはりヴァラドンと関係があったのでしょうか?

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アルコール依存症の闇

母親ヴァラドンは、
ユトリロ8歳の時から精神的に不安定であることはわかっていたのに、
何も対処せず、祖母にユトリロを預けます。

祖母は精神不安定な孫を落ち着かせるため、
アルコールを与える間違った対処をしていました。

そんなユトリロは17歳頃から
アルコール依存症となってしまいました。

アルコール依存症による暴力などで
家族は多くの問題が起こりましたが、

その対処をする中、
絵を描かせることを医者から勧められます。
少しずつ絵を描き始めたユトリロですが、

1904年精神要因へ入院。
退院後は穏やかになり、

ここから本格的に絵を描き始め、
画家になることを決めます。

母親の教えは聞かず、
独学で習得していきました。

40, Rue Ravignan 1913
↑メトロポリタン美術館所蔵
ユトリロの絵

Joy of Life 1911
↑メトロポリタン美術館所蔵
母ヴァラドンの絵

アルコール依存症は治らない

結局ユトリロは
生涯アルコール依存症に悩まされます。

絵の成功と裏腹に、
アルコール依存症により騒ぎを起こし、
精神病院へ入退院を繰り返しました。

どれだけ短命だったか…と思わせて、

51歳で結婚。
71歳没。

と、なかなか充実した生涯だったのです。

自画像、肖像画を描かない闇

20世紀初頭のモンマルトルを中心に、
活動していた画家たちを
「エコール・ド・パリ」と呼びます。

モディリアーニや、
レオナール藤田
フリーダカーロの夫、
ディエゴ・ミゲルもその一人です。
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それにしても、
多くの画家が自画像や肖像画を描く中、

モーリス・ユトリロの自画像、
誰かを描いた肖像画は残っていません。

その殆どがパリの風景と
ほんの少しの静物画です。

ユトリロの肖像画として多く見られる絵は、
母ヴァラドンが描いたものです。

ですが、
ここまでモーリス・ユトリロの人生を知ると、
彼がなぜ人を描かないのか、
気持ちがよくわかります。

誰からも存在を認めてもらえなかった。

父親もわからず、
男たちが入れ替わり家族として入っては消え、

名前すら母親の姓「ヴァラドン」を
名乗らせてももらえず、

生涯会わなかった
書類上の父の姓「ユトリロ」を名乗ることになったモーリス。

絵が助けになったものの、

エコール・ド・パリ画家仲間の、
交友のあったモディリアーニは
アルコールと薬物依存がたたり、
35歳の若さで亡くなっています。

モーリス・ユトリロの風景画からは
音が聞こえてこない静けさがあります。

素直に美しいと言えなに何か。
その理由が今回の記事だったということです。

↓こちらで152点のユトリロの絵を見ることができます。
wikiart.org/maurice utrillo


↑モンマルトルにあるユトリロの墓

モーリス・ユトリロの闇のまとめ

ユトリロの3つの闇は、

1,父親がわからない・母が奔放

2,若い頃からアルコール依存症

3, 人を描かない

[闇]と言いましたが、
モーリス・ユトリロは長生きで、
生きている間に絵は評価され、
勲章までもらっています。

卵が先か鶏が先か。
名画と苦悩は表裏一体ですね。

最後まで記事を読んでいただき
ありがとうございました。

さらなる情報、ご意見ご感想、
体験談などコメントいただけたら嬉しいです。
Yukiyo mommy
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